やっとお花見 ― 2017年04月14日 11:52
悪天候と雑務に追われてゆっくりお花見ができない春でした。
元気のない母を連れて、ようやく立ち寄れた伊丹のスカイパーク。
飛行機と桜の両方が楽しめました。
暖かい陽ざしの下で食べるお弁当は格別ですね。
元気のない母を連れて、ようやく立ち寄れた伊丹のスカイパーク。
飛行機と桜の両方が楽しめました。
暖かい陽ざしの下で食べるお弁当は格別ですね。
尼海の会 ― 2017年03月27日 12:01
尼崎の海を舞台に、「ジュンカン」を作る実験をしている尼海の会。一年間の成果を発表するフォーラムに行ってきました。
中学生たちの研究成果と、南部再生という情報誌で「尼崎の魚」を取材されている方の講演、尼海とみんなの得意なことをつなげようというワークショップまで、和気あいあいとしたフォーラムでした。
わかめの種を植え、収穫したわかめから肥料を作り、菜の花やサツマイモを植えて菜種油を取り、収穫したサツマイモを揚げて食べる。その排泄物はまた海に帰り、わかめの栄養となる。
彼らが作っているのはちっちゃな循環ですが、育まれるのはきっと、一方通行ではない、全体を見渡すまなざし。
「ひとりの100歩より100人の一歩」という先生の言葉も印象的でした。
El domingo fui a la conferencia de AMAUMI.
AMAUMI significa mar de Amagasaki. Y también es el nombre de un grupo que hay de unos estudiantes de una preparatoria y de profesores de una universidad preparatoria.
Los estudiantes anunciaron varias cosas que estudiarían en este año.
Además mis amigos hablaron sobre los peces de Amagasaki.Y hubo un taller.
El tema de AMAUMI es los ciclos del ambiente
La circulación es muy importante por el ambiente.
Ellos tienen un proyecto de crear un pequeño ciclo ambiental cerca del mar de Amagasaki.
En el mar ellos plantan semillas de algas. Y recogen las algas grandes y hacen fertilizantes. Porque no se puede comer algas sin cambiar el agua sucia.
Y ellos aran el campo , plantan flores y papas dulces.
Cogen el aceite de semillas de flores y fríen las papas.
Después de comer las papas , van a servicio,los excrementos se purifican y fluyen por el mar. Este nutrición cría los algas marinas.
Es ciclo es muy pequeño ,pero ellos aprenden totalmente sobre el ambiente.
La conferencia fue muy interesante.
中学生たちの研究成果と、南部再生という情報誌で「尼崎の魚」を取材されている方の講演、尼海とみんなの得意なことをつなげようというワークショップまで、和気あいあいとしたフォーラムでした。
わかめの種を植え、収穫したわかめから肥料を作り、菜の花やサツマイモを植えて菜種油を取り、収穫したサツマイモを揚げて食べる。その排泄物はまた海に帰り、わかめの栄養となる。
彼らが作っているのはちっちゃな循環ですが、育まれるのはきっと、一方通行ではない、全体を見渡すまなざし。
「ひとりの100歩より100人の一歩」という先生の言葉も印象的でした。
El domingo fui a la conferencia de AMAUMI.
AMAUMI significa mar de Amagasaki. Y también es el nombre de un grupo que hay de unos estudiantes de una preparatoria y de profesores de una universidad preparatoria.
Los estudiantes anunciaron varias cosas que estudiarían en este año.
Además mis amigos hablaron sobre los peces de Amagasaki.Y hubo un taller.
El tema de AMAUMI es los ciclos del ambiente
La circulación es muy importante por el ambiente.
Ellos tienen un proyecto de crear un pequeño ciclo ambiental cerca del mar de Amagasaki.
En el mar ellos plantan semillas de algas. Y recogen las algas grandes y hacen fertilizantes. Porque no se puede comer algas sin cambiar el agua sucia.
Y ellos aran el campo , plantan flores y papas dulces.
Cogen el aceite de semillas de flores y fríen las papas.
Después de comer las papas , van a servicio,los excrementos se purifican y fluyen por el mar. Este nutrición cría los algas marinas.
Es ciclo es muy pequeño ,pero ellos aprenden totalmente sobre el ambiente.
La conferencia fue muy interesante.
パティのこと ― 2017年01月26日 10:15
ノーベル賞の授賞式でのパティ・スミスのパフォーマンスを見る。
文学賞を受けたボブ・ディランの代理で、彼女が受賞コメントを読み、ディランの歌を歌うという。
私は、ボブ・ディランのことはほとんど知らない。彼がノーベル賞にふさわしいのか、あるいはノーベル賞がディランにふさわしいのか、一時にぎわっていた話題についても、全く意見はない。
一方、私はパティ・スミスの、35年来のファンである。「パンクの女王」と呼ばれ、ガリガリの身体に黒いスーツという中性的なルックスと、既成の女性性をぶち壊すような歌い方に憧れた10代を過ごした。
なので、スミスがディランの代理を務めるというニュースには、少なからず興奮していた。
幸い、そのパフォーマンスはYouTubeにアップされていた。
厳粛な授賞式会場で、歌いだしてすぐ、彼女が緊張しているのが分かった。彼女は少し歌い、そして歌うのをやめた。顔を赤らめ、「ごめんなさい。とても緊張しているの。もう一度やり直します」
私はそれを見て、どうしようもなく感動した。
歌詞を忘れたというより、緊張のあまり、気持ちが入らなかったのだろうと思う。が、彼女のようなベテランのアーティストが、過ちを認めてやり直すのは、驚くべきことに思えた。
そして彼女は、今度は力強い声で歌い始めた。
昔々、私が二十歳のころ、成人式は振袖一色だった。私はその、あまり意味のない流行に反抗し、黒のジャケットに白いシャツ、細い黒のネクタイをして、つまりはパティもどきで、成人式に行った。パンツ姿の女子は、本当に私ひとりだった。心優しい友人たちは遠巻きに手を振り、「相変わらずやねー」と声をかけてくれたが、だれも近づいては来なかった。それは本当に子どもじみた抵抗だったが、私にとっては、愉快な記憶として残っている。
パティは燕尾服とドレスばかりのホールで、やはり、黒のジャケットと白いシャツを着ている。しかし、彼女が世界に示したのは、反抗心ではなく、私たちは誤りを認め、再びやり直すことができる生き物なのだという、明快な勇気だ。
染めていないグレーのロングヘアが、彼女にも私にも、ずいぶん時が経ったのだと思わせた。
彼女の歌は素晴らしく、これだけで、ディランにノーベル賞を授与した価値はあると思った。そして、彼女が代理を務めることになるまでのいきさつを、なんとなく想像した。映画が一本できるくらい、いろんなことがあったんじゃないだろうか。
文学賞を受けたボブ・ディランの代理で、彼女が受賞コメントを読み、ディランの歌を歌うという。
私は、ボブ・ディランのことはほとんど知らない。彼がノーベル賞にふさわしいのか、あるいはノーベル賞がディランにふさわしいのか、一時にぎわっていた話題についても、全く意見はない。
一方、私はパティ・スミスの、35年来のファンである。「パンクの女王」と呼ばれ、ガリガリの身体に黒いスーツという中性的なルックスと、既成の女性性をぶち壊すような歌い方に憧れた10代を過ごした。
なので、スミスがディランの代理を務めるというニュースには、少なからず興奮していた。
幸い、そのパフォーマンスはYouTubeにアップされていた。
厳粛な授賞式会場で、歌いだしてすぐ、彼女が緊張しているのが分かった。彼女は少し歌い、そして歌うのをやめた。顔を赤らめ、「ごめんなさい。とても緊張しているの。もう一度やり直します」
私はそれを見て、どうしようもなく感動した。
歌詞を忘れたというより、緊張のあまり、気持ちが入らなかったのだろうと思う。が、彼女のようなベテランのアーティストが、過ちを認めてやり直すのは、驚くべきことに思えた。
そして彼女は、今度は力強い声で歌い始めた。
昔々、私が二十歳のころ、成人式は振袖一色だった。私はその、あまり意味のない流行に反抗し、黒のジャケットに白いシャツ、細い黒のネクタイをして、つまりはパティもどきで、成人式に行った。パンツ姿の女子は、本当に私ひとりだった。心優しい友人たちは遠巻きに手を振り、「相変わらずやねー」と声をかけてくれたが、だれも近づいては来なかった。それは本当に子どもじみた抵抗だったが、私にとっては、愉快な記憶として残っている。
パティは燕尾服とドレスばかりのホールで、やはり、黒のジャケットと白いシャツを着ている。しかし、彼女が世界に示したのは、反抗心ではなく、私たちは誤りを認め、再びやり直すことができる生き物なのだという、明快な勇気だ。
染めていないグレーのロングヘアが、彼女にも私にも、ずいぶん時が経ったのだと思わせた。
彼女の歌は素晴らしく、これだけで、ディランにノーベル賞を授与した価値はあると思った。そして、彼女が代理を務めることになるまでのいきさつを、なんとなく想像した。映画が一本できるくらい、いろんなことがあったんじゃないだろうか。
サヴァ・サヴィアン ― 2016年12月30日 01:38
ピエール・バルーの訃報を聞きました。キャリー・フィッシャーに続き、なんだか切ない年末です。
追悼の意を込めて、2004年の文章を再録します。
情報誌で偶然見つけて、突然ピエール・バルーのライブに行くことにする。内容も何も、全く知らずにいったのだけど、着いてみると看板には『映像とトークとライブの夕べ』と書かれている。映像かあ、どうしようかなあ、と思ったものの、ライブハウスの前では当のピエール・バルーがジュースの自販機をビデオに撮るのに夢中で、何となく引き返すわけにも行かずに入ってしまった。何か話しかけて握手してもらえばよかったのだけど、私の知っているフランス語はもはやボンジュールとか、コマンタレブーとかぐらいで、ああそうか、彼のヒット曲を真似て、サヴァ?というのが洒落ていたのにと、少し後悔する。
イベントは、三部構成になっていて、最初にヴォセという日本のボサノヴァバンドのライブが行われる。いかにもボサノヴァっぽい透明感にあふれた女性ボーカルで、日本語の歌詞をつけたジョビンの歌や、三線を持って喜紊昌吉の歌をボサノヴァ風に歌ったりした。
その後、バルーが撮った映画の上映。プログラムには三本、記されていて、私はてっきり10分15分の短編なんだろうと思っていたのだけど、これが全部二時間近い大作で驚く。ライブハウスのパイプ椅子に座って映画三本。本当にどれも、おもしろいものだったのだけど、とにかく長い。フランスのアコーディオンフェスティバルの模様を紊めたフィルムでは、まだ少年のようなCOBAや、ピアソラがかかり、次の、カボチャ商会というちんどん屋バンドがフランスで演奏するドキュメンタリーもとてもおもしろく(後になってカボチャ商会を、私は横浜で見ていたことが判明する)、最後のブラジルを旅するものは、映画としては一番良くできていて、バーデン・パウエルの繊細なギターがとても魅力的だし、おおお、と思うブラジル音楽界の巨匠が次々と紹介され、見応えがあった。
つまり、先のライブも含めて、どこをとっても私が好きな音で満ちていたのだけど、いかんせん長すぎた。主催者も、適当に手足を伸ばして休憩してください、と促し、私が座っていたのはトイレのすぐ近くの席だったので、ひっきりなしに人が行き来していた。ちょうどそこには中途半端な段があって、私も最初、つまずいたのだけど、暗闇の中、そこを通る人のほとんどがつまずいた。 なので、私はいざとなったら手助けができるように、いくらか緊張しながら映画を見ていて、それが、映画の邪魔になるというよりはむしろ、居眠り防止に役立っていた。大体は若者なので、みなつまずいても大事に至ることはなく、実際に手を貸したのは、本当に倒れそうになった年配の女性だけで、ただ、人が前につんのめるを一つ一つ確認していた。(一人の女性はつまずいた後、自分がなぜつまずいたのかを検証するため後ずさりし、段の高さと幅を足先でなぞっていた。几帳面な人だ。)
しかし、映画も三本目にもなると皆慣れてしまって、つまずく人もいなくなり、私もぼんやりと映画に集中していた頃、ピエール・バルーが通った。若者とは言えない歳の彼はつんのめり、私の肩に倒れ込み、私は彼の胴を支えて、半ハグという状態になった。大丈夫、と彼は日本語でささやいた。私はサヴァ?と聞き、彼はサヴァ、サヴァ、大丈夫と再び小声で応えた。
映画が終わり、待望のライブが始まる頃には、もう5時間以上経っていた。青森のキリスト祭りの、シュールな映像が流れ、そこでご婦人たちが踊っていた婦人会音頭か、農協音頭かに、フランス語の歌詞をつけて彼は歌い(会場大爆笑)、お嬢さんと奥さん(日本人)が通訳しながら口論し、どんどんおかしな雰囲気になって、彼は、私が20年以上前に聞いていた懐かしい音楽を歌った。フランス語の『おいしい水』や三線のボサノヴァやシャンソンは、少し変なのだけど、そんなことはもう、どうでもよくなって、バルーが言う、〈すべては地球の真ん中で木の根っこのようにつながっている〉ようで、柔らかくて暖かい球体に包まれているみたいに気持ちよくなる。
何にせよ私は、ピエール・バルーとサヴァ?サヴァ、の会話をしたことで、とても満足していた。〈そしてすべては、限りない宇宙 回る星の上の出来事 〉と日本語の歌詞を皆で合唱するころには、頭はもう、すっかり脱力していて、この歌を大貫妙子で聴いたことがある、となんの根拠もない確信をしたり、歌われた歌が、彼のアルバムで知っているのかボサノヴァで知っているのか、さっぱりわからなくなり、家に帰って古いテープを探しても見つからず、一体自分がピエール・バルーの何を聞いていたのかもわからなくなった。それはちょうど、前に読んだと思う本の内容を全く忘れていて、読み直すにつれ、一つの文章が突然鮮明に蘇ったり、いややはり、全然知らないと思ったりする感触に似ていて、忘れてしまった記憶の根が、世界中のものとつながっているような、上安定な安心感が、座り疲れたおしりのあたりでざわざわした。
●上映された映画
Nuits de Navre'91~真珠貝の夜・チュール
ca va ca vient bis
SARAVAH
追悼の意を込めて、2004年の文章を再録します。
情報誌で偶然見つけて、突然ピエール・バルーのライブに行くことにする。内容も何も、全く知らずにいったのだけど、着いてみると看板には『映像とトークとライブの夕べ』と書かれている。映像かあ、どうしようかなあ、と思ったものの、ライブハウスの前では当のピエール・バルーがジュースの自販機をビデオに撮るのに夢中で、何となく引き返すわけにも行かずに入ってしまった。何か話しかけて握手してもらえばよかったのだけど、私の知っているフランス語はもはやボンジュールとか、コマンタレブーとかぐらいで、ああそうか、彼のヒット曲を真似て、サヴァ?というのが洒落ていたのにと、少し後悔する。
イベントは、三部構成になっていて、最初にヴォセという日本のボサノヴァバンドのライブが行われる。いかにもボサノヴァっぽい透明感にあふれた女性ボーカルで、日本語の歌詞をつけたジョビンの歌や、三線を持って喜紊昌吉の歌をボサノヴァ風に歌ったりした。
その後、バルーが撮った映画の上映。プログラムには三本、記されていて、私はてっきり10分15分の短編なんだろうと思っていたのだけど、これが全部二時間近い大作で驚く。ライブハウスのパイプ椅子に座って映画三本。本当にどれも、おもしろいものだったのだけど、とにかく長い。フランスのアコーディオンフェスティバルの模様を紊めたフィルムでは、まだ少年のようなCOBAや、ピアソラがかかり、次の、カボチャ商会というちんどん屋バンドがフランスで演奏するドキュメンタリーもとてもおもしろく(後になってカボチャ商会を、私は横浜で見ていたことが判明する)、最後のブラジルを旅するものは、映画としては一番良くできていて、バーデン・パウエルの繊細なギターがとても魅力的だし、おおお、と思うブラジル音楽界の巨匠が次々と紹介され、見応えがあった。
つまり、先のライブも含めて、どこをとっても私が好きな音で満ちていたのだけど、いかんせん長すぎた。主催者も、適当に手足を伸ばして休憩してください、と促し、私が座っていたのはトイレのすぐ近くの席だったので、ひっきりなしに人が行き来していた。ちょうどそこには中途半端な段があって、私も最初、つまずいたのだけど、暗闇の中、そこを通る人のほとんどがつまずいた。 なので、私はいざとなったら手助けができるように、いくらか緊張しながら映画を見ていて、それが、映画の邪魔になるというよりはむしろ、居眠り防止に役立っていた。大体は若者なので、みなつまずいても大事に至ることはなく、実際に手を貸したのは、本当に倒れそうになった年配の女性だけで、ただ、人が前につんのめるを一つ一つ確認していた。(一人の女性はつまずいた後、自分がなぜつまずいたのかを検証するため後ずさりし、段の高さと幅を足先でなぞっていた。几帳面な人だ。)
しかし、映画も三本目にもなると皆慣れてしまって、つまずく人もいなくなり、私もぼんやりと映画に集中していた頃、ピエール・バルーが通った。若者とは言えない歳の彼はつんのめり、私の肩に倒れ込み、私は彼の胴を支えて、半ハグという状態になった。大丈夫、と彼は日本語でささやいた。私はサヴァ?と聞き、彼はサヴァ、サヴァ、大丈夫と再び小声で応えた。
映画が終わり、待望のライブが始まる頃には、もう5時間以上経っていた。青森のキリスト祭りの、シュールな映像が流れ、そこでご婦人たちが踊っていた婦人会音頭か、農協音頭かに、フランス語の歌詞をつけて彼は歌い(会場大爆笑)、お嬢さんと奥さん(日本人)が通訳しながら口論し、どんどんおかしな雰囲気になって、彼は、私が20年以上前に聞いていた懐かしい音楽を歌った。フランス語の『おいしい水』や三線のボサノヴァやシャンソンは、少し変なのだけど、そんなことはもう、どうでもよくなって、バルーが言う、〈すべては地球の真ん中で木の根っこのようにつながっている〉ようで、柔らかくて暖かい球体に包まれているみたいに気持ちよくなる。
何にせよ私は、ピエール・バルーとサヴァ?サヴァ、の会話をしたことで、とても満足していた。〈そしてすべては、限りない宇宙 回る星の上の出来事 〉と日本語の歌詞を皆で合唱するころには、頭はもう、すっかり脱力していて、この歌を大貫妙子で聴いたことがある、となんの根拠もない確信をしたり、歌われた歌が、彼のアルバムで知っているのかボサノヴァで知っているのか、さっぱりわからなくなり、家に帰って古いテープを探しても見つからず、一体自分がピエール・バルーの何を聞いていたのかもわからなくなった。それはちょうど、前に読んだと思う本の内容を全く忘れていて、読み直すにつれ、一つの文章が突然鮮明に蘇ったり、いややはり、全然知らないと思ったりする感触に似ていて、忘れてしまった記憶の根が、世界中のものとつながっているような、上安定な安心感が、座り疲れたおしりのあたりでざわざわした。
●上映された映画
Nuits de Navre'91~真珠貝の夜・チュール
ca va ca vient bis
SARAVAH
コスモス園 ― 2016年11月07日 17:10
毎年期間限定で公開されている武庫川コスモス園を覗いてきました。
13000平米のコスモス畑は何度見ても圧巻です。
元々荒れていたこの場所を整備し、花を植えたのはボランティア団体の方々だそう。
この日は天気のいい午前中。小さなコスモスですが、ひとつひとつ、ちゃんとお日様のほうを向いていました。
x-e1 colour skopar 35/2.5
13000平米のコスモス畑は何度見ても圧巻です。
元々荒れていたこの場所を整備し、花を植えたのはボランティア団体の方々だそう。
この日は天気のいい午前中。小さなコスモスですが、ひとつひとつ、ちゃんとお日様のほうを向いていました。
x-e1 colour skopar 35/2.5
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